ウイスキーの歴史(アメリカン・ウイスキー②)

2015.06.09.


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部長 月田です。

 

久々に「ウイスキーの歴史」シリーズを書き始めます。

 

【前回までのおさらい】

アメリカにおけるウイスキー作りは、アイルランドやスコットランドから入植した蒸留技術者がペンシルバニアやバージニアなどに住みついたことから始まります。

彼らは18世紀にはライ麦を育て、ライ麦のウイスキーづくりを始めました。

1775年、独立戦争が勃発しました。イギリス軍との戦いの結果、勝利を収めましたが、独立戦争後の経済の立て直しを図る為に政府が彼らの作るウイスキーに課税を強行しました。

彼ら蒸留業者は猛反発し、歴史に残る大反乱へと発展していきます。

 

【バーボン、誕生秘話】

反乱は軍隊の投入により鎮静されましたが、あくまで税金を払うのを嫌った一部の蒸留業者たちは、ペンシルバニアやバージニアの奥地、あるいはさらに西のケンタッキー、インディアナ、テネシーなどに移っていきました。

それまで、ペンシルバニアなどの東部の州でつくられていたウイスキーは、ライ麦や大麦を使ったものでしたが、ケンタッキーにはトウモロコシの方が適していることを発見し、それまでライ麦でウイスキーを作っていた蒸留業者は、トウモロコシをライ麦の補助ではなく、ウイスキーの主原料として使うようになりました。

1785年、当時はまだバージニアの一部だった今のジョージタウンに住む、エリージャー・クレーグ牧師は、酒の蒸留も手掛け、偶然にも内側が焼けた樽で貯蔵したウイスキーが香りも色もよくなっていることを発見しました。これがバーボンの始まりと言われていますが、他にも2,3の話しがあり、どれも証拠はなく、伝説めいています。が、18世紀後半から19世紀にかけてバーボン・ウイスキーが誕生したのは確かといえます。

 

【悪名高き”禁酒法”の到来】

1865年、南北戦争が終わると、北部の資本が南部にも入り、アメリカ経済は急速に発展し、ウイスキーづくりにも連続式蒸留機が使われるようになり、その生産量が大きく伸びました。

ジャック・ダニエル、ブラウン・フォーマン、エンシェント・エイジなど、現在も有名なブランドもこの時代に相次いで創業を始めました。

そのウイスキーの発展にブレーキをかけたのが、悪名高い「禁酒法」でした。

 「禁酒法」は1920年1月に施行されました。この背景には、ドイツ系移民の醸造界進出に対する反発や、植民地からの根強いピューリタニズム、女性の発言力が強くなったこよなどがありましたが、結果は、密造、密売によって、巨大な利益をあげるマフィアの勢力拡大を助長するだけで、飲酒の抑制にはなりませんでした。むしろ、その間にカクテルも普及し、アメリカ独特の酒文化を生むことになりました。

 

【月明かりで作られた密造酒、それがアメリカン・ウイスキー】

禁酒法が実施されている間、密造業者たちは、月明かりのもとで密造したため、密造業者はムーン・シャイナー、密造酒はムーン・シャインと呼ばれました。

 ウイスキー業者は、禁酒法廃止後、比較的短期の間に回復し、蒸留法も効率の良い連続式蒸留機だけに変わり、単式蒸留機はほとんど姿を消しました。

アメリカのウイスキーは、蒸留法だけでなく。醸造法も独自のスタイルを作り出し、スコッチ・ウイスキー、アイリッシュ・ウイスキーとは全く別のタイプのウイスキーとなっています。

 ベトナム戦争後は、自然回帰や健康への関心が高まり、ワイン・ブームが起こり、ウイスキーの需要が落ち、1990年代には白モノと呼ばれるホワイト・スピリッツの伸びに負けています。が、1990年代に入り、カルフォルニアを中心にバーボンの人気も回復が見られ、近年のバーボンブームはまだ続くようです。

先日、当店のアメブロにおいてもSuntoryの「ジン・ビーム」やキリンの「フォア・ローゼス」などのバーボンの蒸留所増強という発表を受けて、その人気について書きました。

ぴぐぷらすでバーボンを飲むならば、「赤ぴぐハイボール」。

メーカーズマーク・レッドトップを最高に美味しいハイボールで召し上がって下さい。

 

では、次回は独自のスタイルをもつ「アメリカン・ウイスキー」とは?に迫っていきます。

 

 


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