ウイスキーの歴史(バーボン)

2015.02.09.


部長 月田です。

毎日「ウイスキー」が美味しくなる歴史について書いています。

今日はアメリカでのウイスキー作りの歴史について。

アメリカで、穀物の蒸留酒がつくられるようになったのは、

18世紀に入ってからといわれています。

蒸留酒としては、いまのニューヨークでオランダ人が西インド諸島の

糖蜜を作って作ったラムが最初といわれています。しかし、その後、

ヨーロッパからの移民も増え、次第に穀物の酒、ウイスキーが作られる

ようになりました。

 

本格的にウイスキーが作られたのは、ケンタッキー州のバーボン郡で、

1783年に蒸留した記録が残っていますが、現在のようにトウモロコシを

原料にして作るようになったのは、1789年ケンタッキー州のジョージタウンで、

パプティスト派の牧師が先駆者といわれています。

 

1775年に始まった独立戦争後の1791年、連邦議会が財政確保のため

ウイスキーに重税をかけたため、東部の蒸留業者の間で暴動(ウイスキー反乱)

が起き、業者や農民は、ケンタッキーに逃れ、そこで良質の水とトウモロコシを得て

、新しいウイスキー作りが始まりました。

このケンタッキー州バーボン郡で作られたウイスキーは、

土地の名前を取ってバーボン・ウイスキーと呼ばれるようになりました。

1919年にアメリカで成立した禁酒法は、アメリカへの密輸ウイスキーで

皮肉にもカナダのウイスキー産業を発展させることとなりました。

スコッチもバーボンもウイスキーは、税金や国の政策から逃れることで、

発展したという歴史があるんですね。

 

 

ウイスキーの歴史(D・C・L)

2015.02.06.


部長 月田です。

昨日、解説したブレンデッド・ウイスキーはまろやかさと呑みやすさを獲得し、

好評を得るようになっていました。しかし、一方では乱立したグレーン業者の

過当競争が激化し、倒産もみられるようになりました。そこで、1877年には

ローランドのグレーン・ウイスキー業者6社が集まり、

D・C・L(Distillers Campany Limited)を結成し、ウイスキー作りの大企業化が

始まりました。

その頃、フランスのブドウ栽培地ではフィロキセラ害虫の蔓延でブドウが

壊滅し、ワインやコニャックが異常に高騰していました。

当時、ロンドンの上流階級ではウイスキーは呑まれておらず、赤ワインや

ブランデーを愛飲していましたが、これを機に上流社会の間でも

スコッチ・ウイスキーが呑まれるようになり、

ジンを愛飲していたロンドン市民にも広まり出しました。

こうした情勢に目をつけたD・C・Lは、スコットランド各地に散在する

モルトウイスキーの蒸留所を買収したり、自らの手で新たに

モルト・ウイスキーの蒸留所を建設し、生産量を拡大し、

南北アメリカを始め、イギリスとの関係の深い国々へ、

積極的に輸出するようになりました。

「白ぴぐハイボール」や「上白ぴぐハイボール」のベースである

”Dewar’s”はスコッチウイスキーの消費国No.1のアメリカへの

販売量で常にベスト5をキープしています。

作り続けて180年の歴史を持ち、

その味と香りを現在も世界が認める

ブレンデッド・スコッチ・ウイスキーです。

 

 

ウイスキーの歴史(ブレンデッドウイスキーの誕生)

2015.02.05.


部長 月田です。

いつものようにハイボールが更に美味しく感じる「ウイスキー」の続きです。

1823年、新法により密造時代に終わりを迎えます。ハイランドの大地主で、

上院議員であったアレキサンダー・ゴードンは、小規模の蒸留所にも

安い税金で蒸留できる新しい税制を提案しました。

蒸留業者は次々に名乗りを上げ、熱心にウイスキー作りを発展させました。

ちょうど時代は産業革命の真っ盛りの時期でもありました。

一方、ローランド地方の大規模蒸留業者は、蒸留の効率化を進め、

連続式蒸留機を発明し、その後の改良でローランド地方のあちこちに

グレーン・ウイスキーの塔が登場することになります。

1853年には、単式蒸留機による個性の強いモルト・ウイスキーと、

連続式蒸留機によるマイルドなグレーン・ウイスキーをブレンドした、

ブレンデット・ウイスキーが誕生します。

明日は過当競争が激化したウイスキー業者は生き残り策について。

 

 

ウイスキーの歴史(錬金術師とウイスキー)

2015.02.04.


部長 月田です。

ウイスキーの誕生を知る人は「生命の水」が語源であることをご存じだと思います。

中世の錬金術師が、醸造酒を蒸留する技術を発見したときに、

その燃えるような味わいに驚いて、アクア・ビテ(aqua vitae,生命の水)と

呼んでいました。

ヨーロッパ各地に蒸留技術が伝わるとともに、

この共通語アクア・ビテが各地の言葉に訳され、

蒸留酒をさすようになりました。この技術を、穀物から作った蒸留酒、

つまりビールに応用したのが、ウイスキーの始まりです。

15世紀末にはスコットランドでも蒸留が行われていたことが

明らかになっています。

1707年にイングランドと統合され、1713年にはイングランドで

行われていた「麦芽税」をスコットランドでも適応することになり、

ローランド地方の大規模蒸留業者は、大麦麦芽以外の穀物を混ぜ、

麦芽の量を減らして蒸留するようになりました。

これが「グレーンウイスキー」=沈黙の酒の前身と

考えられます。

さて明日のブログは

1823年の新法による密造時代の終結以降、

いよいよ大きくウイスキーが発展していく様子を

お伝えします。

 

 

ウイスキーの歴史(麦芽税)

2015.02.03.


部長 月田です。

「スコッチウイスキー」が美味しいと思ったら、ウイスキーの歴史を知ると

昔、昔から酒と人間は切り離せないものだと納得します。

ウイスキーは、麦芽や穀物を原料として、これを糖化、

醗酵させたのち、蒸留し、更に樽の中で熟成された酒をさします。

ウイスキーの琥珀色は、この樽熟成の歳月の流れの中で育まれたものです。

更に、この熟成によってウイスキーの風味はまろやかになり、

華やかな香りと味わい深いコクを持つようになります。

昨日書いた「モルトウイスキー」は

1713年に制定された「麦芽税」から逃れる為に密造者が、

作業しやすさだけで、大麦麦芽だけで蒸留し、

大麦麦芽を乾燥させる燃料として、付近にあったピート(泥炭)を使い、

貯蔵にシェリーの空き樽を流用したことから始まっています。

さて、明日はウイスキーの誕生について説明致します。

2月のおすすめ「白ぴぐハイボール」

2015.02.02.


部長 月田です。

2月のおすすめ「白ぴぐハイボール」。

常連のお客様には見慣れたメニューであると思います。

が、白ぴぐハイボールのベースであるスコッチウイスキーの知識を深めると、

もっと味わい深い酒呑みの時間に変わります。

ぴぐぷらすでも「マッサン」の放送を境に「竹鶴」の売上がUPしました。

情熱を持って作る姿が「竹鶴」を呑みたい思わせてくれます。

デュワーズは「モルトウイスキー」と「グレーンウイスキー」

を180年以上守り続けたブレンダーの力で調和させています。

「モルトウイスキー」=主張する酒、個性的で風味豊か

「グレーンウイスキー」=沈黙の酒

このブレンドされた新しいタイプの酒が1853年にエジンバラのウイスキー商

アレンドルー・アッシャーにより”ブレンデッドウイスキー”として誕生しました。

明日は「モルトウイスキー」についてお話しましょう。

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