本日、2/13(金)は生JAZZ演奏あります。

2015.02.13.


部長 月田です。

昨年の6月から、毎月2回、金曜日の夜に生のJAZZ演奏をお聞き頂いています。

本日のスケジュール

20:00~20:40

休憩(奏者の二人が皆さんにご挨拶にまわります)

21:00~21:40

休憩

22:00~22:40

アンコールも大歓迎です。

*チップ制

混雑時は入口での演奏になります。

練馬の5FでBGMとしてゆったりとした贅沢な時間をハイボールと共に・・。

弦で弾く


ウイスキーの歴史(日本では・・)

2015.02.13.


部長 月田です。

「ウイスキー」の歴史を知ると、ハイボールの美味しさもひとしおです。

さて、今日は日本のウイスキーの歴史について。

日本に最初にウイスキーが伝えられたのは、

1853年、ペリー総督率いるアメリカ艦隊が浦賀沖に来航した年とされている。

ウイスキーが最初に輸入されたのは、明治維新後の1871年のこと。

輸入元となったのは主として薬酒問屋で、欧米文化の香りを伝える洋酒の

ひとつとして輸入されたが、残念ながら伸びず、明治末でも洋酒は酒類市場の1%

にも達しなかった。国産ウイスキーの蒸留が始まるのは、関東大震災のあった1923年。

この年、京都郊外・山崎峡で日本初のモルト・ウイスキー蒸留所、寿屋山崎蒸留所の建設が

始まり、日本の本格的ウイスキー作りの1ページが開かれました。

日本にウイスキーが輸入されてから約50年後のことでした。

そして、1929年(昭和4)、この蒸留所から国産ウイスキー第一号「サントリー・ウイスキー白札」

が誕生します。

この後、第二次世界大戦前には、ニッカなどがウイスキー事業に乗り出し、

第二次大戦後、生活の洋風化が進み、ウイスキーは本格的に人々の間に

浸透し、数多くのウイスキー業者が参入したが、その中で、着実に伸びてきたのが、

オーシャン(三洋)、キリン・シーグラムなどがあります。

そして、日本のウイスキー業界全体も着実に成長を遂げ、技術的にも進歩し、

世界5大ウイスキーのひとつとして独自の個性を確立するようになった。

世界5大ウイスキーと呼ばれているのは、スコッチ、アイリッシュ、アメリカン、

カナディアン、ジャパニーズである。一見同じような琥珀色をしているが、

その国の伝統に培われた技術や努力が活かされ、世界各地で作られる

ウイスキー界をリードするウイスキーとなっている。

さて、次回は「日本のウイスキー」について。


ウイスキーの歴史(バーボン)

2015.02.09.


部長 月田です。

毎日「ウイスキー」が美味しくなる歴史について書いています。

今日はアメリカでのウイスキー作りの歴史について。

アメリカで、穀物の蒸留酒がつくられるようになったのは、

18世紀に入ってからといわれています。

蒸留酒としては、いまのニューヨークでオランダ人が西インド諸島の

糖蜜を作って作ったラムが最初といわれています。しかし、その後、

ヨーロッパからの移民も増え、次第に穀物の酒、ウイスキーが作られる

ようになりました。

 

本格的にウイスキーが作られたのは、ケンタッキー州のバーボン郡で、

1783年に蒸留した記録が残っていますが、現在のようにトウモロコシを

原料にして作るようになったのは、1789年ケンタッキー州のジョージタウンで、

パプティスト派の牧師が先駆者といわれています。

 

1775年に始まった独立戦争後の1791年、連邦議会が財政確保のため

ウイスキーに重税をかけたため、東部の蒸留業者の間で暴動(ウイスキー反乱)

が起き、業者や農民は、ケンタッキーに逃れ、そこで良質の水とトウモロコシを得て

、新しいウイスキー作りが始まりました。

このケンタッキー州バーボン郡で作られたウイスキーは、

土地の名前を取ってバーボン・ウイスキーと呼ばれるようになりました。

1919年にアメリカで成立した禁酒法は、アメリカへの密輸ウイスキーで

皮肉にもカナダのウイスキー産業を発展させることとなりました。

スコッチもバーボンもウイスキーは、税金や国の政策から逃れることで、

発展したという歴史があるんですね。

 

 


【春味】国産若鶏をレモンの香りで焼いています

2015.02.09.


2015年春味

国産若鶏ロティサリーチキン【春味】。

外は寒くても、店内は春です。


ウイスキーの歴史(D・C・L)

2015.02.06.


部長 月田です。

昨日、解説したブレンデッド・ウイスキーはまろやかさと呑みやすさを獲得し、

好評を得るようになっていました。しかし、一方では乱立したグレーン業者の

過当競争が激化し、倒産もみられるようになりました。そこで、1877年には

ローランドのグレーン・ウイスキー業者6社が集まり、

D・C・L(Distillers Campany Limited)を結成し、ウイスキー作りの大企業化が

始まりました。

その頃、フランスのブドウ栽培地ではフィロキセラ害虫の蔓延でブドウが

壊滅し、ワインやコニャックが異常に高騰していました。

当時、ロンドンの上流階級ではウイスキーは呑まれておらず、赤ワインや

ブランデーを愛飲していましたが、これを機に上流社会の間でも

スコッチ・ウイスキーが呑まれるようになり、

ジンを愛飲していたロンドン市民にも広まり出しました。

こうした情勢に目をつけたD・C・Lは、スコットランド各地に散在する

モルトウイスキーの蒸留所を買収したり、自らの手で新たに

モルト・ウイスキーの蒸留所を建設し、生産量を拡大し、

南北アメリカを始め、イギリスとの関係の深い国々へ、

積極的に輸出するようになりました。

「白ぴぐハイボール」や「上白ぴぐハイボール」のベースである

”Dewar’s”はスコッチウイスキーの消費国No.1のアメリカへの

販売量で常にベスト5をキープしています。

作り続けて180年の歴史を持ち、

その味と香りを現在も世界が認める

ブレンデッド・スコッチ・ウイスキーです。

 

 


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